大判例

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東京高等裁判所 昭和58年(う)1229号 判決

裁判所書記官

石井正男

本籍

東京都足立区千住仲町四五番地の一

住居

神奈川県川崎市多摩区登戸三三五五番地

医師

鈴木幸二

大正一四年三月一七日生

右の者に対する所得税法違反被告事件について、昭和五八年七月六日横浜地方裁判所が言い渡した判決に対し、弁護人から控訴の申立があったので、当裁判所は、検察官鈴木薫出席のうえ審理をし、次のとおり判決する。

主文

本件控訴を棄却する。

理由

本件控訴の趣意は、弁護人葛西宏安名義の控訴趣意書に、これに対する答弁は検察官鈴木薫名義の答弁書に各記載されたとおりであるから、これらを引用する。

所論は、要するに、原判決の量刑は重過ぎて不当である、というのである。

そこで、検討すると、本件は産婦人科医院を営む医師である被告人が、同医院の経理担当者である妻鈴木京子と共謀のうえ所得税を免れようと企て、診療収入の一部を除外する等の方法により所得の一部を秘匿したうえ、虚偽過少の所得税確定申告書等を税務署長に提出し、昭和五四年から昭和五六年まで三年分の所得が合計三億三、四四四万七、三〇九円であったのに、これが合計一億一、五四八万六、七八八円であると申告して、三年分の所得税合計一億五、三二〇万七、〇〇〇円を免れたという事案であるが、逋脱額が一般の所得水準に比較し巨額であるうえ、所得申告率は三年平均で約三四・五パーセントに過ぎず、税逋脱率は同じく約七八・五パーセントと高いこと、所得秘匿の手段も毎日の診療収入の一部を除外し、レジスターペーパーをその残額に打ち直して偽装することを長期にわたり継続していて計画的であること、脱税の動機も自宅建築資金の蓄積等のためというのであって酌量の余地に乏しいこと、医院の経理事務は被告人の妻が全面的に担当していて、診療収入の一部除外も現実には同女の指示により事務長が行っていたとはいえ、被告人も院長として医院の診療収入額を概括的に認識し、収入除外の手段及びこれによる除外額についても概略は認識していたこと並びに税制上優遇されている医師の脱税に対する社会的非難が厳しいこと等に徴すると、原判決が(量刑の理由)として説示するように、その犯情は芳しくなく、被告人の刑事責任は重いといわなければならない。

そうすると、被告人が本件の摘発後、反省の念から税務当局の調査に対し積極的に協力し、多額の費用をかけて補助人員を提供するなどの努力をしたこと、その後の医院の経理事務が再度誤ちを起さないよう改善されたこと、本件の逋脱金額中相当多額の部分が浪費性のある妻の個人的使途に費消されているが被告人はこれを知らなかったこと等、所論指摘の被告人のために酌むべき諸事情を斟酌しても、被告人を懲役一年六月(三年間執行猶予つき)及び罰金四、〇〇〇万円に処した原判決の量刑が重過ぎて不当であるとはいえないから論旨は理由がない。

よって、刑訴法三九六条により本件控訴を棄却することとし、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 海老原震一 裁判官 和田保 裁判官 杉山英已)

○昭和五八年(う)第一二二九号

控訴趣意書

所得税法違反 被告人 鈴木幸二

被告人の頭書被告事件につき控訴の趣意は左記のとおりである。

昭和五八年九月二一日

弁護人弁護士 葛西宏安

東京高等裁判所 第一刑事部 御中

原審判決は被告人を懲役一年六月、罰金四、〇〇〇万円に処し、右懲役刑につき三年間の執行猶予に付したが右刑は以下のべる情状に照し、苛酷に失すると思料される。

一 査察事件の調査、捜査に要する期間と公訴時効との関係において、本件被告人の場合、自からの反省の念による調査に対する協力が自己を著しく不利に陥れた事実について。

一般的に査察事件についてはその調査に必要な期間は査察官が捜索差押等の強制手続に着手してから調査を済ませ告発に至るまで通常八ケ月乃至一〇ケ月以上の日数を要する。

しかも、公訴時効の関係から殆んどの場合、二年分のみの告発に終わるのである。

本件はほ脱税額合計一億五、三二〇万七、〇〇〇円という小規模とは云えない事件であるが昭和五七年一〇月一日捜索差押により調査が開始したのであるがその四ケ月後の昭和五八年二月一日に調査は終了し三年分について告発が行なわれている。

そして、昭和五四年分の公訴時効の完成の僅か九日前の昭和五八年三月五日三年分について起訴されている。

右調査の期間が通常の場合と比較して非常に短期間で済み、そのために三年分の告発起訴が行なわれている。

本件の場合右のごとく異例に短かい期間で調査が終了したのは被告人の調査に対する特別の協力があったからである。

被告人が、脱税の事実を反省して素直に調査に応じたというのみならず、積極的に自己の多額な費用の負担で査察官に協力している事実がある。

即ち税理士事務所に依頼し査察調査資料の整理計算を行なう事務二名並びに自己の病院の事務員二名と元事務員で現在は退職している者一名を臨時に雇用して国税局査察部に出向かせて資料の整理計算の手伝をさせている。

右のごとく調査についての被告人の協力と、資料の整理計算のための人員を多数使用できた結果、本件調査は異例の速さで進行し四ケ月間で昭和五四、五五、五六年の三年間分について終了したのである。

通常の場合であると、調査期間が八ケ月以上一年近く必要とされるため公訴時効の関係で三年分の告発は難かしく大多数の場合は二年分の告発にとどまっている。

被告人の場合は、少ないとは云えないほ脱額について三年分の告発がなされたのは、前記のごとき被告人の調査に対する積極的な協力があったからに他ならない。

そうであるとすれば、被告人の反省とこれに基づく多額の費用を負担してまでの調査に対する協力が、結果として被告人を非常な不利益な状態に陥れている。

このようなことであっては、自己の行為について本当に反省しそれを調査への積極的協力という形で顕わした者が、そのために不利益な結果を招き、仮りに若し反省がなく積極的な協力をしなければ調査に長期間を要するため、当初の一年分を公訴時効によって免れ、二年分のみで処罰されるということであれば反省の念が強く、反省の念を行為にまで現わした者が そのために自己を不利益な状態に陥れ、反省の念の薄い者や反省の念を口に唱えるのみで、行為に現わさない者が利得をするということとなる。

このようなことであっては、査察制度そのものの存在価値も疑問となってくる。

被告人の場合右被告人の真実の反省と、これに基づく査察調査への積極的協力を、正当に評価されて、犯罪事実としては公訴提起された三年分について当然有罪を認定されるとしても量刑については十分前記の点を考慮して被告人の右反省の念と行為を評価し、懲役刑についても罰金刑についても軽減していただきたいと考えるものである。

二 本件ほ脱所得についての被告人の認識する数額、手段と、被告人の妻及び事務長の実行した数額、手段とに差異があった事実について。

本件脱税の発端は被告人が、自からの病院で雇用する優秀な医師を確保するため大学病院の医局等に 多額のいわゆる「つけ届け」等を行なうための裏金を作る必要から行なわれたものであった。

被告人としては、優秀な医師の確保のため「つけ届け」を行なうのであるが、その領収証を貰えないため必然的にこれに相当する裏金を作る必要があり、この分年間七百万円程度を作るよう妻に指示した。

被告人としては右指示をした結果右範囲内で脱税行為が行なわれていることは判っていたが、右指示の範囲を超えて本件のごとき多額の脱税が行なわれているなどとは到底認識していなかった。

被告人の右のごとき認識を超えて妻の意図によって多額の脱税が行なわれたことは本件の諸証拠と共に、妻が告発されたという事実によって端的に認められるのである。

通常は被告人の使用人、妻等補助者の立場で行為した者について告発が行なわれることはない。

しかるに本件の場合妻が告発されている。

このことは本件の場合妻の立場が脱税行為の補助者という範囲を超えて独立の脱税行為者と判定された事実を示すものである。

そこで、被告人としては自から前記大学病院の医局等への「つけ届け」の範囲とは云いながら脱税の指示を行なっているのであるからその指示を受けた妻や事務長の行なった脱税について、その全てについて被告人の行為として責任を負わなければならないのは云うまでもないが、量刑の面においては、被告人の認識する脱税額と、妻及び事務長の行なった脱税額との差について、これを軽くする理由の一つと考慮されて然るべきものと考える。

本件ほ脱所得は、その多くを被告人の知らない妻の商品取引による欠損の穴埋め、或いは妻の外国旅行等として費消されている。

右の点について被告人自身は全く苦情を述べていないが、しかし前記事実全体を見るとき被告人に対して何等かの情状酌量を考慮すべきものと考えられるのである。

三 本件量刑が前記 一、二の点を全く考慮に入れておらず重きに失すること。

原審の検察官の求刑は懲役一年六月罰金五、〇〇〇万円であった。

右求刑は、本件の三年間のほ脱税額合計金一億五、三二〇万七、〇〇〇円から求刑基準により機械的に算出し例えば罰金刑については右ほ脱額の三分の一としたものであって何等情状は酌量されていない。

右求刑に対し原判決は、被告人が、脱税にかかる本税全額を納付したこと、再犯防止策を講じたこと反省していること等通常の良い情状を考慮し、懲役刑については執行猶予を付し、罰金刑については求刑の八割を量刑している。

しかし本件には前記一、二、記載のごとき特別の良い情状があるから、量刑に際してはこれを考慮したうえで判決を下されたいと切望するものである。

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